イタリアのカフェ。

イタリアのカフェ。
カフェ。いや”バール”だ。エスプレッソの発祥の地”イタリア”。あずまも憧れて止まない聖地であるが、ファッション、音楽、宗教、建築、そして歴史と多くの文化を持っているイタリアで、バール文化は現代イタリアの重要な文化であると思う。
なぜイタリアのカフェ(面倒なのでカフェで統一)は特別なものなのか。
大手カフェチェーン”スターバックス”の代表”ハワードシュルツ”がスターバックスの社員だった頃イタリアに渡り、そのエスプレッソ、カプチーノ、何よりイタリアの生活に根付いたカフェ文化に感銘を受け、これをアメリカに持ち込みたいと考えた話は有名であるが、僕もなぜかイタリアのカフェ文化には超越した何かを感じてしまう
イタリアでコーヒーといえばそれは”エスプレッソ”を指す。イタリア人の多くには馴染みのカフェがあるらしく、1日の始まり、休憩、仕事終わりなど、1日を通してカフェでコーヒーを楽しむことがイタリア人のまさに”日常”である。カフェでコーヒーを提供してくれる”バリスタ”は社会的にも認められた職業で、優秀なバリスタは尊敬の的であるし、店同士のヘッドハンティングもあるようで、優秀なバリスタは引っ張りだこなようである。このことだけでも僕はイタリアに憧れた。日本ならカフェで働く=「20代までの仕事」的なイメージである。カフェで働いていると、「早くちゃんとしたとこに就職しなさい!」なんて親に言われる始末で、憤りを覚えること甚だしいことだ。確かに他の産業のように利益を生み出すことが厳しく、3Kだとは思う。それが現実であるのだが、日本人の型に嵌めた考え方には閉口してしまう。カフェの仕事はプロフェッショナルでクォリティを維持するには相当な意識とシステム、人間力が必要なことを一応書いておく。
ちなみにイタリアでは安い店ならエスプレッソ1杯”1ユーロ” (120円)くらいで飲める。安い!それが人気店なら1日に”1000杯”から”2000杯”くらい売るらしい。飲食やってるならわかるが凄まじい杯数である。ひっきりなしにお客さんが来て”ぴゅっ”と飲んでぴゅっと帰る。”バンコ”という立ち飲みスペースでの利用が多いので、入れ替わり立ち替わりでそんなに広くないカフェで1500杯売るなんてあるらしい。(楽しそ〜!)
これくらい出るならこの値段でやれるのになぁ・・。とも思うが日本では流石に厳しいと思っているし、はっきり言うと流石にびびる。実は問屋町店を開いた時にイタリアに憧れてハンドドリップで290円という安値で始めた。はっきり言って安い。(イタリア的には高い)大手がボタン一つ押してやす〜い品質の豆を抽出してすました顔で出されるコーヒーくらいの値段である。それで2年ほどは頑張っていたが手間もかかるし、現実採算的に厳しい上に安いということでサン○クみたいな感じというイメージまで持たれたのだから完全な失敗である。ビジネスは難しい・・。
さて、しかしイタリアでは飲み手側のイメージや成熟度、さらにコーヒーへの尊敬、愛情が感じられ、素晴らしい関係性を確立しているように見える。店と客が対等な関係であり、お互いが尊敬しあっているのだ。
イタリアのカフェにはさらに素晴らしい文化がある。”コーヒー”は”みんなのもの”で、みんなが楽しむ権利があるとの考え方があり、お金に余裕がある人、または余裕がある時(給料日?)には、お客が自発的に”2杯分”の代金を払うのだ。店はそのお金で、お金がない人に温かいコーヒーを提供する。・・。
えーーー!!カッケーーー!!震える。
そう。超伊達な心意気のある文化が当たり前のようにあるのだ。前から聞いていたが、最近ドキュメンタリーでもそのことに触れていたので間違いない。素晴らしい。
さてコーヒーマンとしてイタリアのコーヒーについて少し話をしよう。イタリアのエスプレッソは濃いくて苦味もあり、キャラメルのような甘さを感じるとろっとしたものだ。 ただイタリアのエスプレッソといっても、もちろん地域によってスタイルが異なる。北エリアのエスプレッソは比較的浅めの酸味がある。それに対して、ナポリなど南部のエスプレッソは非常に深煎りで濃い。それぞれお客のニーズも違い、”量”も違ったりする。ではなぜ地域で違うのか。それは国民性(イタリアは元々町町が独立した都市国家)もあるのだろうが、貧富の差もあるのではないかとの意見がある。 実は僕が尊敬する先輩から聞いた話だが、現実あるようで、なんならイタリアのエスプレッソ文化は貧しさから生まれた部分があると言うのだ。
ヨーロッパの華やかなイタリア。シャツはボタンを上から二番目、三番目まで外し、胸板をひけらかすイタリア。よく考えるとそんなイタリアも日本と同じく第二次世界対戦の戦敗国なのだ。
イタリアのエスプレッソは法律で使用できる豆の量が1杯で7g±0.5gと決まっている。ダブルショットで14gである。これは最近法律で決まったらしいが、元々これくらいの量で淹れていた。最近のカフェは10gを超える豆を使うことが多いのでイタリアの使用するg数は少ない。やはり貧しいのでたくさんのコーヒー豆を使用することができなかったのではないか。そしてさらに言うと品質の良い豆を買うことができなかった。結果イタリアのエスプレッソブレンドは4~6種類ほど混ぜて奥行きを出す。品質が悪いので深く焼かないと悪い味が目立つので深煎りにする。その上アラビカ種ではなく安いロブスタ種を混ぜる。そうやってどうにか安いもので美味しいコーヒーを作ろうとしたのである。
つまりお金ない→ロブスタ含め安い豆しか買えない→深く焼く&数種類混ぜる→gも少なくがベースで細かく挽いて調整する。
これを聞いた時、僕は心からやっぱイタリアかっけ〜!と思った。お金ないからコーヒー飲まないではなく、工夫を重ね、少ない量でも、低い品質でもおいしいコーヒーにしてやるぜ!とのクラフトマンシップを感じるのだ!さすがイタリアである。それが今では美味しいイタリアスタイルの深煎りエスプレッソとなったのだ。これこそ 完全に”文化”である。やはりある程度の制約がある方が、面白いものが生まれるのだ。素晴らしい。
さらに言うと1800年代?ナポレオン時代にも国が貧しくなり、カフェも当然苦しくなった時に、ある有名店が豆の量を減らして、小さいカップに入れて、安く提供したという歴史がある。その延長にエスプレッソ誕生があるのである。震える。
長々書いてきたが、やはりイタリアのカフェ、バール文化は色あせることなく僕にとって永遠の憧れを抱くものであるし、ONSAYAの店作りでもいつもイタリアのバールの写真を眺めインスピレーションを受けてきた。 イタリアのカフェ。それは単なるコーヒーを飲む場所を超えた、人々の豊かな生活への憧れと、今を楽しむことの重要性を知ることと、人々の繋がりのプラットホームなのである。
イタリアの話。最後にお伝えしたいが、実は僕はまだ一度もイタリアのカフェを体験したことがない。なので薄~い知識だけで書いている(笑)ただ憧れを膨らませているだけである。この文章も事実でないことも少なからずあるかもしれないが、仰々しく言うならばただ憧れが過ぎただけのフェイク記事なのだ。
ただ、愛情たっぷりのフェイク記事であることだけは事実である。

その他のブログを読む

産地訪問  - ニカラグア編 2015 -

産地訪問 - ニカラグア編 2015 -

デザイン作りの裏話

デザイン作りの裏話

抽出メソッド - アイスコーヒー編 -

抽出メソッド - アイスコーヒー編 -