代表リトルアズマのご紹介
ONSAYACOFFEEの代表、焙煎担当、"リトルアズマ"をご紹介いたします
コーヒーや喫茶店について
2008年にONSAYACOFFEEを創業しました。ほぼ勢いで起業してONSAYACOFFEEも2020年で13年目です。昔からコーヒー、そして喫茶店が好きでした。そしてぼくにとってコーヒーは単なる飲み物ではなく、ロマンというか、大人を感じるというか、ワクワクするものでした。これはコーヒーの持つストーリーや文化に惹きつけられたのだと思います。今の時代のコーヒーはコーヒーそのものの素材というか、味が注目されています。でも僕はコーヒーはもちろんのこと、喫茶店、それぞれの国や店の文化、デザイン、こだわり、世界観、歴史、人権問題など、それらを含めたカルチャーに興味があるのです。コーヒーは人生の脇役。そう、単に必要不可欠なリソースということではなく、人間の文化的営みにとって豊かさを与えてくれる”嗜好品”であるところに魅力があると感じているのだと思います。いい喫茶店が街にある。それだけで街は豊かな文化を発信していける気がするのです。街そのものが文化とさえなりうるのです。
焙煎について
ぼくは焙煎もしています。コーヒーに向き合っているといつも、この豆はもっとこんな味があるのではないか、引き出し切れているのかと考えます。フレーバー、爽やかな酸や甘さ・・。行ったり来たり。フレーバーを強めるとクリーンさに難が出たり、バランスをどう取るのか・・。とか。
でも段々と素材素材になっていき、それを楽しむ人間の生活のシーンのことを袖に置いてしまうことがあります。フレーバーが強くても飲みにくいとどうか。クリーンでも味がなかったらそれは美味しいと言えるのか。人間不在。人が楽しむからコーヒーに価値がある。人が感じるものだからコーヒーは嗜好品。ぼくのコーヒーの価値観を、人がどう感じるか、どう楽しめるかに焦点を移すことにしました。誰でも楽しめるコーヒー、朝飲みたいコーヒー、豊かなフレーバーを楽しむコーヒー、苦さを楽しむコーヒー。。そんな人間主体のコーヒーをクラフトしたいなぁと思っております。いまだ道半ばです・・。
リトルアズマの名前の由来
15年ほど前から岡山のソウルバンド、”ジャマーズ”に在籍。ボーカルを担当。そのジャマーズでのバンドネームが”リトルアズマ”。奇妙礼太郎トラベルスイング楽団を輩出した”sneerkerblue record”から”Sweet Money Bee”をリリース。売れず笑。
少年時代から起業まで
少年時代は昭和の浮かれた時代真っ最中。そんなバブリーな時代も小学校高学年になると終わりを告げ、日本という船は少しずつ雲行きが怪しい嵐に巻き込まれていく。
小学生の頃からコーヒー好きな母親の影響を受けてコーヒーは好きだった。しかしそれ以上に父親と行く大人の社交場、”喫茶店”に憧れていた。 中学生になると新聞配達で稼いだお金で”音楽”や”ゲーム”、”お好み焼き”と”喫茶店”に散財していく。さすがバブリーキッズである。中学で自分で稼いでいるのだが。
その後アルバイトを始めたコーヒーショップでエチオピア のモカに感銘を受け、コーヒーの面白さに初めて感動する。大学在学中に岡山の老舗喫茶店”カーフェ・カーネス”や”スターバックス”などで喫茶店、カフェの面白さを再認識。かなり遅めに大学を卒業。就職するか、店出すかで迷うことになるのだが、高杉晋作の辞世の句「おもしろきこともなき世をおもしろく」に背中を押され店を起業することになった・・。
2008年ONSAYACOFFEE OPEN *OPENの話はまた次回
*ブログ少年Aはこちら
当初上述の”カーフェカーネス”から豆を仕入れていたが、閉店を機に自家焙煎を考え、2010年ついに自家焙煎に切り替える。
2020年現在岡山市内に4店舗を展開。